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海外転職の先にある、キャリアと生き方

武田卓也さん(サイボウズ)~海外転職の先にあるキャリアと生き方~

海外就職体験談 2019-02-12





上海での拠点立ち上げを4年間経験。
異なる価値観を受け入れることを学び、
帰国後は、独自のアプローチで、
新規事業や副業を成功に導く。

武田 卓也 Takuya Takeda
サイボウズ株式会社 仙台営業所 所長

<プロフィール>
1981年6月生まれ。早稲田大学を卒業後、2005年4月に自動車メーカーに入社。補修用部品の営業企画や在庫管理を経験後、30名規模の人材系のベンチャー企業に転職。リーマン・ショックをきっかけに転職し、サイボウズの上海拠点の立ち上げにジョイン。4年にわたり勤務して、マネージャーにも昇格した。新たな挑戦を求め、サイボウズの日本本社に帰国。2015年に仙台営業所の立ち上げの責任者に。同社の制度を活用し、現在は副業活動も行っている。







海外勤務を夢見て、自動車メーカーに就職。
会社の役に立っている実感を得られず、
2年で退職を決意。

   学生時代は、早稲田大学の商学部で経済やトレーディングを勉強していました。大学での勉強にそこまで熱心ではなかったのですが、海外留学がその後のキャリアに影響を与えました。アメリカミシガン州とオーストラリアのケアンズに、約2ヶ月の短期留学。語学を習得したり、講義を受けたりしましたが、初めて外から日本を見られたことで、視野が広がりましたね。日本車がいたるところで走っていたのを目にしたことがきっかけで、大学卒業後は自動車メーカーに就職。日本でずっと働くよりは、若い内に海外に行きたい。そう考えて、自動車メーカーの中でも海外の売上比率が高い会社を選びました。

   2005年4月、入社後に配属になったのは、補修用部品の営業企画や在庫管理をする部署でした。仕事の内容は、先輩の指示で資料をまとめたり、会議の議事録をとったりと、補助的な業務が中心。自分にスキルがあれば、もっとやれることはあったかもしれませんが、入社2年が経っても、誰でもできる仕事ばかりやっているように思えていました。大きな会社でしたので、日々の仕事がどう役に立っているのか、その実感も持てませんでした。自分が若かったこともありますが、「海外に行きたい」という思いは実現できないまま、退職を決意しました。



30名の人材系ベンチャー企業へ。
会社と自分がシンクロして成長していく。
そこで襲ったリーマン・ショック。



   転職の軸に置いたのは大きく2点です。1点目は、結果が見えやすい仕事に就くこと。前職では、大企業で間接的な仕事をしていたからか、成果が明確ではなく、自分の成長や会社への貢献もなかなか実感できませんでした。このモヤモヤを解消したかったのが1点目です。2点目が、営業スキルを伸ばせる会社を選ぶこと。先が見えない時代で、食べていくために必要なスキルは何か。そう考えたときに、浮かんだのが営業スキルでした。自分で売上をつくり、収益を挙げることができれば、まあ路頭に迷うことはないだろうと(笑)。

   そこで選んだのが、30名くらいの人材紹介のベンチャー企業でした。入社当時は景気も良く、企業の人材採用ニーズも非常に活発でしたので、業績も好調。「この会社を大きくしていくぞ!」という機運に満ちていました。ただ、大企業の間接的な仕事から、異業種のベンチャーの最前線、しかも新規獲得営業職への転換ですので、最初は苦労しましたね。中途入社の同期は5人いましたが、自分だけがどうしてもアポイントが取れなかったときもありました。ただ、「人材紹介の営業は、活動量だ!」と気づいてからは、とにかく動くことを意識することで、成績は上昇カーブを描いていきました。

   一つひとつの商談で、お客様から直接、お金をいただく。そして、感謝されるのが嬉しくて仕方なかったですね。前職の自動車メーカーでは、数字上では数億円のビジネスに触れていましたが、この100万円の売上の方が、私にはずっと嬉しく感じました。会社に貢献できている実感もあった。30人の会社が80名にまで成長しましたし、自分自身も製造業担当部署のマネージャーに昇進。自分自身のステージが上がり、会社自体も大きくなった。全てが上手く回っていました。

   しかし、そのサイクルが一瞬にして崩れました。2008年9月。リーマン・ショックが起こりました。この未曾有の金融危機は、クライアント企業の採用ニーズを一気に縮小させました。特に、私が担当していた製造業においてはその影響が顕著で、売上が瞬く間にゼロに。懇意にしてくれていたお客様に「ウチの採用はストップします。人材紹介はもう結構です」そう何度言われたことか。もちろん、自分たちでやれることはやりました。お客様のもとに足繁く通い、採用候補者へのフォローも手厚くしましたが、焼け石に水でした。次第に、会社の雰囲気が悪くなり、毎週毎週人が辞めていく。私は5人のチームをマネジメントしていましたが、自分自身も含めて、全員が退職することになりました。



中国の知識は、『三国志』のみ。
サイボウズの上海法人の立ち上げに挑む。


   絶頂といってもよい状態から、一気に奈落の底へ。新しい仕事を探すにあたっては、プロとして求人を探す立場側からも、その市況感の悪さは肌身で分かっていました。ただ、その状態において、唯一、希望を感じていたのがIT業界、そして、海外の求人です。とくに中国での求人は、国が成長過程にあったのでなんとか活況を維持していました。「IT x 海外」で職を探す中、見つけたのがサイボウズの上海法人立ち上げの求人です。サイボウズは、企業向けの情報共有システムを提供している会社で、前職のベンチャー企業でも導入していました。その使い勝手が良かったので、これだったら現地でも売れるだろうな、と感じました。加えて、「立ち上げ」という言葉が魅力的でしたね。会社自体を成長させる喜びを、前職と同様に味わえると思ったからです。営業職の募集で、そのスキルにはそれなりに自信がありましたので、即座にエントリーを決断。選考はとんとん拍子で進み、2009年1月、初の海外勤務が実現したのです。

   中国という国については、旅行でも行ったことがないですし、知識もほぼゼロ。「三国志の国」というイメージしかなく、上海、香港、台湾の違いもあまり良く分かっていないほどでした。英語が少しは通じると思って上海の空港に降り立ったのですが、全く通じずにパニックになりかけました(笑)。赴任先のサイボウズの上海法人は、既に拠点自体は開設されてはいましたが、売上があまり立っていない状態。開発部署も含めて30人くらいの組織で、私の配属先の営業部隊は、日本人5人、中国人3人の計8人の小さいチームでした。

   私たち営業チームのミッションは、上海の日本企業に対して、サイボウズのシステムを売り込むこと。前職で新規獲得の営業は経験しましたが、最初の1年くらいはなかなか売れなくて苦労しました。人材紹介とITでは、営業の仕方が全く違うのです。人材紹介では、商品が「人」で目に見えていますが、IT業界では「ソリューション」であり、カタチがありません。お客様の業務上の課題を深掘りし、その解決策をオーダーメイドで提供する必要があります。この「ソリューション型営業」のスキルが、自分にはありませんでした。ソフトウェアの知識も習得する必要があり、勉強をしながらも、理解に乏しいまま、新規顧客獲得のためのテレアポや人脈つくりを推進する、という状態でした。

   ただし、1年もすれば、次第に勘所が見えてくるもの。マーケットは上海における日本企業の現地法人にほぼ限定しているので、営業の戦略が立てやすい。商談の相手は、基本的には日本人で、会って話をするのはそこまで難しくありません。ターゲットを決めてより多くの電話を掛ける。より多くの顧客を訪問する。この努力に注力することが、業績を上げる近道だと気づいた後は、右肩上がりで売上が伸びていきました。



現地で得られた、代え難い人間関係。
「戦友」のような絆も生まれた。


上海稲門会(早稲田大学卒業生の同窓会)メンバーとの飲み会

   一方で、初めての海外勤務でしたので、生活面での「誤算」はありました。赴任当時、現地採用の給与は、日本人と言えどそこまで高くありませんでした。現地の水準で比べると、それなりの金額ではありましたが、日本から派遣されている駐在員に比べると低い。彼らと一緒に遊んだりご飯を食べに行くと、生活水準が異なるので、まあお金が飛んでいく(笑)。転職当初は生活にそれほど余裕がありませんでした。

   ただし、この交流で得たことも非常に大きかった。当時、早稲田大学の卒業生が上海に多く赴任していたので、彼ら彼女らと強固なつながりをつくることができました。困ったことがあったら助け合ったり、仕事を発注してくれたこともありました。これは、日本ではなかなか得ることができない人間関係ですね。いまでも仲良くしていますし、たまに食事をすると、当時の話で盛り上がります。「戦友」と言っても良いかも知れません。中国で得たものは多くありますが、現地でつくった人間関係は、その中でも他に代え難いものとして残っています。



20名の組織を指揮するマネージャーへと成長。
次のチャレンジを求めて、日本への帰国を決断。


サイボウズ中国の送別会での集合写真

   渡航して2年目以降、営業成績は好調で、大きな受注をいただいたこともあります。ある日本の大手製造業の会社の上海拠点にお伺いしたときに、「中国での営業組織を強くしたい」という要望を受けました。現地のシステムの課題を洗い出し、自社のサービスのメリットを提案。結果、日本の案件と比較しても、大規模な受注に結びついたこともありました。組織に対しても良い影響を与えられるようになり、3年目にマネージャーに昇格。メンバーの数も次第に増えてきました。ここで重視したのは、営業目標の管理です。売上から逆算して、商談件数、電話掛けの数などを定量的にマネジメント。ただ画一的に管理するのではなく、営業スタッフ一人ひとりに向き合いました。スキルや志向を加味して目標を個別に設定。また、点での営業活動に加え、自社ならではの広告や自社イベントの企画を行い、上海における日本企業としての地位を徐々に確立していきました。また、上海の組織は上手く回りはじめたので、北京や深センの立ち上げも並行して任されるなど順調に事業を広げていきました。

   このタイミングで自分自身の心境に変化が現れます。事業が軌道に乗る一方で、立ち上げ時の刺激がなくなってきたことに気づき始めました。未開の地でゼロからイチを生み出すのではなく、現状から見えている未来に向かって、確実にイチを10にしていく。また、このままずっと中国で働くのか、という迷いがある中で、一度改めて日本で働こうと決め、4年半にわたる上海勤務に終止符を打ち、日本への帰国を決断したのです。



「仙台に拠点を立ち上げるから一人で行ってきて」

   従業員のチャレンジを奨励するサイボウズという会社は好きでしたので、上長に相談して日本の本社に戻ることに。まずは、東京で2年間働きました。日本流のモノの考え方や仕事の進め方を、改めてインストールする助走期間を経て、新たな挑戦の舞台の幕が開きました。

   当時の上司に呼ばれて告げられました。「武田くん、仙台に拠点を立ち上げるから、一人で行ってきて」。仙台には縁もゆかりもありませんでしたが、新たな市場を立ち上げるミッションを任されワクワクしたのを覚えています。まさに、サイボウズとしても私自身としても、ゼロからのスタート。まずは、マーケットの調査から始め、戦略を固めつつ、物理的な拠点を確保しました。中国とは違い知名度の高い日本では、自社の営業スタッフを増やすのではなく、サイボウズの事業に共感してもらえる代理店(パートナー企業)の開拓に力を注ぎました。中国での仕事と同じく、前例が無い市場において、やるべきことを明確に決めてやり切る手法を踏襲したのです。

   それに加えて、仙台だけの成長に留まらず、全国に向けてどうやって影響力を発揮していくのかも考えました。その答えを、「独自性」と置きました。大都市の東京ではできない事例をつくる。特に、地元企業へのソリューションをこだわって提供することを心がけました。宮城県で海産物の加工業を行う会社や、岩手県の創業100年の老舗染物屋、福島県で新たにリフォーム業を立ち上げられた会社など。地元企業への一連のソリューション展開活動は社内外で評価され、「kintone AWARD」という賞を3年連続で受賞したのです。

★kintone AWARD
https://kintone.cybozu.co.jp/jp/event/hive/award.html



3つの副業の成功と、
中国での経験の因果関係とは?




   仙台拠点の立ち上げから3年目になりました。事業としては、軌道に乗ってきたと言ってよいでしょう。自分自身の業務も少しずつ落ち着いてきたので、新たに始めたのが「副業活動」です。サイボウズという会社は、副業を全面的に解禁しているので、どんなチャレンジも個人で行うことができます。活動としては3つのことに取り組みました。

   1つ目は、介護業界の仕事です。これからの日本で益々必要とされる中で、人材不足に悩んでいる介護業界の中で働いてみて、IT活用などの可能性を広げられればと思ってはじめました。
   2つ目は、とあるITサービスの仙台事業の立ち上げ。サイボウズのお客様は法人ですが、このサービスは個人向けのものです。もともと東京で提供されていたこのサービスは、時流を捉えていてなかなか面白く感じました。私は運営会社に企画書を直接送付して、仙台での事業展開を提案。そこから仙台でのサービスを開始し、今では軌道に乗りつつあります。
   そして3つ目の副業活動は、教育分野のものです。IT業界での人脈や人材業界での経験を活かし、IT系の専門学校で学んだ卒業生と企業を結びつける事業のお手伝いを始めました。

   自分のキャリアを振り返ってみて、改めて思うのですが、決められた役割のもとで仕事をしているわけではありません。自動車メーカーと2社目のベンチャー企業では、決められた枠の中で社会人や営業としての基礎を学びながら働いていた色合いが強いですが、中国と仙台での仕事は、ともに自分で市場を切り拓く役割を担いました。売り方だけではなく、場合によっては売る商品自体も自分で考えなければならない。「事業開発」に近い働き方ですね。ただ、日本と海外では全然違うと思います。海外では文化も風土も違い、味方もいなければ、既存勢力という敵もいない。「自分で考えるしかない」し、「思い切りやれる」環境でもある。何もないところで戦った経験は、その後のキャリアで大きな果実をもたらしてくれたと思います。そして、当時のタイミングも大きかったですね。リーマン・ショックを機に停滞期に入った日本を飛び出し、成長が過熱していた中国に飛び込んだ。社会自体が前に進んでいく大きなエネルギーとともに、自分自身も成長できたのだと感じています。仙台での拠点立ち上げや副業は、あのタイミングでの中国での4年間がなければ、おそらく成功していません。当時は自分自身も若くて、固定観念がなかったことも良かったのでしょう。



異なる価値観を受容することで、
人は間違いなく急激に成長する。




   もう一つ。海外で働いたメリットは、「異なる価値観に触れ、それらを吸収できたこと」です。たとえば、日本では自国を経済大国だと思っている人は多いかも知れませんが、中国では意外と早くからそうは思われていませんでした。また、私たち日本人は、自国の経済の先行きの暗さからか、お金は貯金をする人が多いですよね。一方で中国では、「今年より来年が良くなるのは当たり前。お金は使った方が良い」という考え方の人が多い。このように、自分が培ってきた価値観が全てではなく、世界は多様な考え方で溢れている。まずは、この違いを生で感じることができたのは大きかったですね。

   そして、それらの価値観を受け入れることで、自分自身が成長できたと感じています。人間としての幅が広がりますし、相手を受容できるスキルは、あらゆるビジネスのシーンで大いに活きてきます。サイボウズの仙台拠点を立ち上げた際も、東京のやり方をそのまま持ち込むのではなく、現地のニーズに徹底的に合わせました。おそらく東京にいたら、創業百年の岩手県の老舗の染物屋に熱心にシステムの提案はできません(笑)。東北地域の地場の会社の現場に入り込んで、お客様の困っていることを深掘りしました。その全てを受け入れた上で、お客様の目線で提案を行った結果、事業が伸び良い成果につながったのです。

   人としての幅、自分の中での多様性。これらの要素は、中国に渡らなければ、間違いなく身につきませんでした。もし、海外への転職を考えているのでしたら、一度行ってみるのが良いと思います。ただし、最低でも3年は掛けて、現地にどっぷり染まった方が良いです。生活と仕事の両面において、自身のアイデンティティを再構築するためには、それなりの時間が掛かるものです。日本との違いを目の当たりし、時には葛藤も重ねながら、一つひとつを受け入れることで、間違いなく人は成長します。「先が見えないので、3年は難しい」ということでしたら、むしろ割り切って「1ヶ月くらいの超短期」で下見にいくのはオススメです。現地の空気に少しでも触れることで、何かを感じることがあれば、本格的に渡航を検討してみてはいかがでしょうか?いずれにしろ、海外への転職は、自分自身の可能性を大きく広げるきっかけにはなると思います。ぜひ、チャレンジを検討してみてください。



<インタビュー担当記者より>
武田さんへの取材を通じて最も強く感じたのは、「事業家」としての熱意です。社会に対して何かを成し遂げたいという想いもお持ちですが、自分自身で面白いことを生み出して、自分自身で刺激を受けて楽しむ。その結果として、事業が成功しているように感じました。「自分」を軸にして、海外勤務も経て事業家としてのキャリアを形成しているのは、ひとつのロールモデルになるのではないでしょうか。

「今後やりたいことは?」という質問に対して、「中国企業の日本市場への進出や立ち上げを支援したい」という答えをいただきました。逆の立場からご自身の経験を活かして、日本にいながらも、グローバルの仕事に携わる。武田さんの新たな挑戦を見つける力には、私自身も刺激を受けました。



●インタビュー・執筆担当:佐藤タカトシ
キャリアや採用に関するWebでの連載多数。2001年4月、リクルートコミュニケーションズ入社。11年間に渡り、大手自動車メーカー、大手素材メーカー、インターネット関連企業、流通・小売企業などの採用コミュニケーションを支援。2012年7月、DeNAに転職。採用チームに所属し、採用ブランディングをメインミッションとして活動。 2015年7月、core wordsを設立。



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