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海外・アジアで働く人々の就職体験談!連載企画『アジアで働く』

上海で働く かねこちづるさん(フリーマガジン編集長)

海外就職体験談 2022-04-22



上海が私に自信を与えてくれた。
社会人留学をきっかけに、
未経験からフリーマガジンの編集者へ



フリーマガジン編集長
かねこちづるさん

1993年生まれ、神奈川県出身。新卒から2年間手芸店に勤務した後、2018年に上海師範大学の語学留学生として来海。上海の居心地の良さに惹かれて、現地就職を決意する。2019年、フリーマガジンやデジタルメディアの発行、イベント企画などを行う広告会社「コンシェルジュ上海」に入社。2022年現在、フリーマガジン『コンシェルジュ』の編集長兼営業をしている。


上海に暮らす人であれば『コンシェルジュ』を一度は手にしたことがあるはずだ。私も上海に来たばかりの頃に街でこの冊子を見つけて、それ以来熱心な読者のひとりになっている。まだ土地勘がなかった私にとって、日本人に向けて作られたその冊子はとても心強く感じられた。本誌の編集長として活躍するちづるさんは《上海が私に自信を与えてくれた》と話す。上海で働く理由やその魅力を教えてもらった。


***


ポンコツ社会人だった1年目。
   余裕ができて感じた将来の不安


現在の会社に入社して3年目。『コンシェルジュ』という日本人向けフリーマガジンの編集長兼営業をしています。『コンシェルジュ』は上海生活を快適にしていただくことを目的に、飲食店情報や、ビジネス情報などをお伝えしている冊子です。今年になって「編集長」へと肩書が変わりましたが、正直なところ仕事内容はあまり変わりません。しいて言えば、社長からの期待――というより、プレッシャーが大きくなったくらい(笑)。お客様からも期待していただいているので、それに応えたいと思っています。

現在の会社は新卒時代から数えると2社目で、編集者は未経験からのスタートです。上海に来る以前は手芸店のスタッフをしていました。

いわゆる“できる社員”ではなかった私の1年目なんて、毎日がボロボロでした(笑)。もともとビーズアクセサリーが好きで入社を希望したのですが、配属されたのはヒモやリボン、レース、皮などを扱う売り場でした。そうした素材はいままで触ったこともなかったので、最初はわからないことだらけ。ケミカルレースの特徴とか、アクリルヒモの末端処理の方法とか、皮の切り方とか――。ひとつ覚えたら、またひとつわからないことが出てくる。そんな日々でした。

接客はおぼつかなくて、お客さんを前にすると緊張してしまい、ミスを連発。マネージャーや先輩から叱られてばかりで、1年目はさんざん。このままではまずいと思い、効率よく仕事をする先輩たちを観察し、マネをして、どうやれば現状を打破できるのかトライアルアンドエラーを繰り返していました。2年目になると仕事にも慣れてきて、少し余裕が持てるように。周りからも「頼もしくなったよね」って言われるようになったりと、一気に働きやすくなったと思います。ただ、余裕ができたことで、これからの将来について考える機会が増えるようにもなっていました。

もともとは “モノづくり”に関わる仕事がしたかったのですが、今の気持ちとのズレを感じるように。かといって、すぐに辞めるわけにもいかなかったので、ひとまず働きながらできることを探すことにしました。




街路樹のプラタナスに四季の移り変わりを見る。その度に上海にまだ居られる喜びを感じる



無理だと思った社会人留学。
   公費留学でチャンスをつかんだ

物心つく頃から海外の文化や言葉に興味があり、両親のすすめもあって、大学生時代に第二外国語として中国語を選択。私が通っていた大学は、さまざまな国の大学と提携しており、長期休暇になると「タイにフィールドスタディに行ってくる」「イギリスに3ヶ月留学へ行く」なんて話を多く聞きました。中国の大学とも交流があり、留学へ行くこともできました。ただ、単位取得の勉強しかしていなかった私には、現地で暮らして現地で学ぶ長期留学なんて勇気はなく、1週間の上海語学研修に参加するのが精一杯でした。

社会人になった後はしばらく中国語と疎遠だったものの、職場が都心にあったことや中国人のお客様も多かったことで、中国語との距離が一気に近くなりました。自分のなかで曖昧なままにしていた中国語を、もう一度勉強してみようって。それからは、毎朝6時に職場近くのカフェへ入り、中国語を勉強する日々が始まりました。仕事は、オープンからクローズまで働くことが少なくありませんでしたし、セール期間中はさらに営業時間が延長となり、それに伴って帰宅時間が日付をまたぎそうになることがありました。当時は明確な目標があったわけではないにもかかわらず勉強を続けられたのは、なにより中国語が好きだったからだと思います。

転機となったのは、HSK(漢語水平考試)の受験会場の隣で開催されていた中国留学フェア。周りを見渡してみると、中学生や高校生だけではなく、小さな子どもから年配の方までが「どうしたら中国で勉強できますか」と、熱心に話を聞いていたのが印象的でした。

ただ、当時の私にとって留学は現実的なことには思えなかったんですよね。仕事を辞めたら金銭的にも厳しくなりますし、それまで社会人留学なんてほとんど聞いたことがありませんでしたから。それでも諦めきれず、調べていたら「公費留学」という制度があることを知りました。さらに社会人の公費留学生をSNSで見つけて、思い切ってメッセージを送ってみたんです。

実際に公費留学をしている方と話してみると、私も可能性がゼロではないと思えるようになりました。それで、受かるかどうかはわからないけれど、受験だけはしてみようと。一次の書類審査が特に重要だと聞いていたので、がんばって書類を準備しましたね。この書類審査を通過したのは、卒業後も私に親身になってくださった大学の先生方、アドバイスをくれた友人たちのおかげと言っても過言ではありません。結果が来るまではとても緊張して、通知書に「一次審査合格」って書かれていた時には嬉しくて、人生で初めて嬉し泣きしちゃいました(笑)。その後、二次面接も無事に合格して、公費留学の機会をいただけたのです。




家族には二次面接前日に留学の希望を伝えた。「すごくびっくりしてました(そりゃそうですね)」



勉強漬けだった留学生活。
   もっと、上海にいたいと思った

2018年9月、語学留学生として念願だった上海にやってきました。留学生活はキラキラした“キャンパスライフ”では決してありませんでしたが、それでもとても楽しかったです。朝起きて、夜寝るまで中国語漬けになって学べることが嬉しかったですね。キャンパスにいた日本人の大半が現役大学生で、社会人留学生は1割程度。その中には子どもが成人を迎えたことを機に留学へ来た人、定年を迎えて留学へ来た人など、さまざまな方がいました。どの人も、中国語への意欲は高く、目を輝かせていましたね。

留学中は、大学と寮、カフェの往復ばかりでしたが、上海の開放的な雰囲気に居心地の良さを感じていました。それで、留学生活が残り3ヶ月ほどになった時、まだ上海を離れたくないと思ってしまって……。当初は家族に1年で帰ると伝えていたのですが、思い切って就職活動をすることに。最初はインターネットで情報を収集して「カモメ中国転職」のことを知り、そこから人材紹介会社に繋がって、現在のコンシェルジュを紹介してもらいました。入社が決まったときは、まだ上海にいられるんだ!って、とても嬉しかったですね。




中国語の試験勉強はしてきたものの、来たばかりの時は伝わらないことも多く、悔しい思いも



半年後にはコロナ禍が始まり、
   2年目には編集長が退職し……

現在は編集長として特集の企画提案、取材、記事の執筆など、雑誌制作にまつわる業務を担当しています。営業も一部担当していて、編集業務と営業業務の二足の草鞋を履いているので、毎日やることだらけですが、楽しく働いています。ただ、入社半年後にはコロナ禍が始まり、2年目になったころには当時の編集長が退職されて――。もともと少数の編集部だったので、1冊をほとんどひとりで作らないといけなくなりました。2年目といったらやっと仕事に慣れてきたばかりの頃。急に「編集チーフ」という肩書になったことで「頑張らなきゃ」と、気負いすぎていたような気がします。

そんなある日、親しくしていただいている総経理さんとお食事した際「真面目すぎ」と言われたんです。何気ない言葉なのかもしれませんが、私には的確なアドバイスなように感じられました。上海では日本よりもフラットな関係が好まれる傾向にあり、仕事ではクライアントだけど、プライベートでは友人同士ということも珍しくありません。この「真面目すぎ」の一言で、肩の荷が下りたというか、もう少し私を表に出してもいいんじゃないかと思えるようになりました。

仕事で印象深いことといえば、昨年8月の「カレー特集」ですね。この特集を組むことになったのはプライベートでカレーメーカーの方と親しくなったことがきっかけでした。「カレーの特集をするなら協力するよ」って言ってくださり、すぐに社長に提案。企画が決まったときは「本当に企画通ったんだ!」と驚かれましたね。出来上がった冊子は、想像以上にたくさんの反響をいただいて「掲載店舗8店舗すべて巡ったよ」「今年一番くいついた特集だったよ」などと、声をかけてくれる方もたくさんいました。私にとって思い入れのある1冊です。




取材のために3週間で8食のカレーを食べたのはいい思い出



上海は自分らしく居られる場所。
   チャレンジできる環境がある

私にとって上海はとても居心地が良いです。朝の通勤電車の余裕のある雰囲気や、大らかで人の目を気にしない上海の人々が好きです。上海で過ごすうちに自信を持てるようになった気がします。日本ではつけたことのない色味のコスメや洋服にも挑戦するようにもなったり、上海で知ったものに魅力を感じたりと、まだ見ぬ私の発見があります。日本には2年帰っていないので、その変わりように家族は驚くかもしれません。また、仕事柄さまざまなイベントや交流会の情報を知ることも多いので、そこにも積極的に参加しています。仕事やプライベートで多くの方とお会いできることが、今はいちばん楽しいです。

最初は1年間で帰るつもりが上海を満喫して、あっという間に4年目。この先ずっと上海にいるのかどうかはわかりません。でも、上海でやりたいことがまだまだあるんですよね。文章を書くだけじゃなくて、カメラスキルも上達させて、表現できる幅を広げたいとも思っています。上海の友人の中には、仕事をしながら趣味で制作活動をする方も多いので、私もそれに触発されていつか個展を開いてみたいな……なんて。ここでは不思議なことに「私には無理」「いまさらやっても仕方がない」と思わないです。面白そうだと思ったら、チャレンジできる環境があると思います。

海外に行きたいと思っていても、年齢や金銭的なことを理由に諦めてしまう方は少なくありません。ただ、公費留学という選択肢もありますし、自分に適した仕事を海外で見つけられるかもしれません。一歩踏み出すだけで、自分自身が180度変わる可能性を秘めていると思います。




上海で買ったミラーレスカメラで撮影した。上海での光景には愛おしさを感じる





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