海外・アジアで働く人々の就職体験談!連載企画『アジアで働く』
台湾で働く MIZUKIさん
海外就職体験談 2022-01-27
女性が海外で働くことが、
あたりまえの選択肢になってほしい。
言葉ができなくても、台湾就職を諦めたくなかった
バックオフィス業務
MIZUKIさん
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MIZUKIさんはYouTubeやTwitterなどを通して、海外で働く等身大の姿を発信しつづけている。現地採用の苦労や魅力……そのテーマで語られる内容は、海外で働く人であれば共感できる内容ばかりだ。台湾で働く魅力やそのきっかけ、ネットでの発信活動をはじめた理由について伺った。
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■アメリカ留学で感じた大きな挫折。
だからこそ、いま、大胆に動けている
私は台湾の高雄市というところに住んでいます。高雄は時間も人もゆったりとしていて、住みやすい地域だと感じています。日本から引っ越してきたときも、比較的スムーズに環境に慣れることができました。
海外に住むうえで、地域の雰囲気って大切なのかもしれません。私は大学生の頃に1年間、アメリカの大学に学部留学をしていました。そこはオハイオ州という地域で、アジア人はおろか黒人の方すら少ない場所だったんです。現地になじむのには、相当苦労しましたね。
この留学は、自分にとって大きな挫折経験でもあります。私は英語に自信があったんですが、一般の学生たちとともに専門科目を学ぶのは想像以上に大変なことでした。アメリカの大学はディスカッション中心の授業なので、私の語学力ではまったく太刀打ちできなかったんです。それに、当時はいまより経験が浅く、自分の殻に閉じこもってしまったんですよね。
「いまだったら、なりふり構わず行動できた」と思うこともありますが、その挫折があったからこそ、いま、大胆に行動できているのかもしれません。
花蓮の海。休日を使ってドライブ旅行に行くのも台湾生活の楽しみのひとつ
■日本を離れ、レールを外れる不安があった。
それでも台湾に行ってみたかった
アメリカ留学は辛いことばかりでしたが、その時に台湾出身のいまのパートナーと出会いました。それをきっかけに中華圏の文化や経済に興味を持ちはじめたんです。それまで欧米ばかり見てきた自分自身に気が付いて、いつしか「中華圏のことをもっと知りたい」「台湾に行ってみたい」と思うようになっていました。
ですが、台湾に行くまでは相当悩みました。私は留学を終えて大学を卒業。日本で就活もして、希望していたBIG4と呼ばれるグローバルコンサルティングファームから内定もいただいていたんです。長年目標にしていた企業でしたし、いわゆる“新卒切符”を使わずに社会に出ることに不安がありました。一般的なレールを外れてしまう気がしたんです。もちろん両親は台湾に行くことに大反対。周囲の意見も厳しかったです。
それでも台湾行きを決めたのは、好奇心が勝ったからです。台湾に未来を感じて、自分の好奇心にかけてみようと思いました。
大学院のクラスメイトたち。各国から学生が集まるグローバルな環境だった
■中国語ができなくても、それを限界にしたくない。
現地採用でがむしゃらに努力した2年半
「台湾に行く」と決めたものの、苦労することは目に見えていました。中国語もできなかったので、準備期間として台湾の大学院を進むことに。ただ、この大学院は3ヶ月で辞めています。ダメ元でしたが在学中から就職活動を始めたところ、とある企業から内定をいただけたんです。
百貨店のバックオフィスの仕事で、数字を扱う業務でした。これまで学んできた経営やマネジメントの知識を評価していただけたのかもしれません。一方、当時の中国語力は、やっとひとりで買い物ができるレベル。「日常会話レベル」にもならない程度です。入社が決まって、人事から「名刺を作りたい」という電話をもらっても「名刺」という単語すら聞き取れませんでした。
それでも、中国語が話せないことを働けない理由にしたくなかった。子どもが言葉を覚えるように、普通語と台湾語の違いもわからないまま、耳から中国語を覚えました。ひとまず3ヶ月頑張ろう、次は半年やってみようーー。そんな風に思っていたら、いつの間にか2年半たっていました。(笑)
この2年半は私にとって《第二の青春》という感じです。がむしゃらに過ごしたので、自分ではうまく振り返れないくらい。でも、久しぶりに取引先の方に会うと驚いてくれるので、その時に自分も成長したのかなと嬉しくなりますね。(笑)
台湾の同僚たちとの送別会。2年半ともに働いた同期たちは大切な仲間でもある
■自分の努力を認めることも大切。
できないことよりも、強みに目を向けてみて
2年半で学んだことは沢山ありますが、そのひとつが「自分の強みに目を向ける」ということです。最初は台湾の方と同じ土俵で戦おうとして、自分のできないところばかりに目を向けていました。台湾の方よりも文章を書くのが遅いとか、トラブルの状況把握に時間がかかってしまうとか。でも1年過ぎた頃、そこで勝負する必要はないって気づいたんです。
「中国語が母国語じゃない自分が、台湾の方より時間がかかるのは仕方がない」「自分には自分の強みがある」と思えるようになりました。私は日本人で、台湾のことは知らないことばかりです。ですが、だからこそ、現地の方とは違った発想で考えることができます。
自分の努力を認めて「それじゃあ自分は何ができるんだろう?」って考えたら、自分の強みが見えてくるんじゃないでしょうか?
高雄の暮らしはバイクが不可欠。台湾の交通事情はYouTubeでも取り上げているので要チェック
■不安だけど、チャレンジしたい。
どうにもならないことって、そうそうないから
台湾に行くまでの私は、いわゆる《レールの上を歩いてきたタイプ》なのかもしれません。中高一貫校に通って、自分自身も「普通」から外れることが怖かった。でも海外に出ると、自分で道を切り開かないといけませんよね。たくさん躓いて、試行錯誤して、自力で進んでいる感じがします。それがとても楽しいです。
そういうと「勇気がある」ってほめてもらえたりもしますが……。自分はどちからというと不安を感じやすい性格で、人と比べてしまうクセもあります。好奇心が強い一方で、常に不安と戦っている感じです。怖いんだけどチャレンジしたい。興味があることに突き進みたい――。不思議なバランスですよね。(笑)
台湾に来てみて、どうにもならないことって、そうそうないんだと分かりました。それは、楽観的な台湾の方々から教えてもらったことです。
愛犬のライチちゃんと過ごす時間が一番の癒し。台中の高美濕地にて
■女性の海外就職が、
あたりまえの選択肢になってほしい。
最近はYouTubeやSNSなどで、積極的に発信するようになりました。始めたきっかけのひとつに「海外に出る日本人女性が増えたらいいな」と感じていることがあります。自分が海外を出たとき、周りの方から厳しい言葉をもらって、その言葉が小さな棘みたい今でも刺さっています。
海外に出る女性は向こう見ずだとか、特殊なことだとか、そんな風に思われたくはありません。手放しに「海外いいよ」とは言えないけど、女性が海外に出ることが、ひとつの選択肢としてあっていいと思うんです。SNSを通して「私自身が自立して、楽しく暮らしている」という姿を見せたいですね。
こういう風に考えるようになったのは、周りの先輩の影響もあるかもしれません。台湾では強くて賢い女性が魅力的だとされていますし、職場の管理職は半分が女性でした。会議でも女性がリードする場面が多くて、そうした先輩たちのおかげで私も楽しく働けていました。いつからか、私も彼女たちのようになりたいと思うようになったんです。
周囲と異なる生き方や働き方を選ぶと、周りの方にいろいろと指摘されてしまうかもしれません。でも、自分の人生は自分だけのものです。自分で責任を取るしかありません。 これからも自分で限界を決めてしまわずに、自分自身で人生の選択肢を作っていきたいと思っています。
台湾の家族と共に過ごす春節。台湾では日本同様にお年玉(紅包)の文化がある
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