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最終更新日2019/12/12

海外転職の先にある、 キャリアと生き方(5回目) 岩楯大輔さん




大手企業を退職して、40名の上海の拠点へ。
そこで求められた自己変革と、
マネージャーへの昇格と降格。
全ての経験が、起業後のいまに活きている。


岩楯 大輔 Daisuke Iwadate
株式会社 アドレイジ 代表取締役社長


<プロフィール>
1982年9月生まれ。東京理科大学卒業後、2006年、ヤフージャパンにエンジニアとして入社。将来の起業に向けて、ビジネススキルを獲得するために、入社4年目に営業職へとキャリアチェンジ。2011年、海外志向は持っていなかったが「自分の可能性を広げたい」と、中国のリクルートの関連会社であるRGF HR Agentに転職。上海勤務の営業職として配属され、1年後にマネージャーに昇格。2015年、日本に帰国し、自身の会社を創業。Webマーケティング事業を展開している。







ヤフーでは、インターネットビジネスを
基礎から学ぶことができた。



ヤフーでエンジニアとして働いていた頃

   高校時代から数学と物理が得意でしたので、2002年、東京理科大学の応用物理学科に進学しました。大学では、物理を中心とした研究をしていましたが、就職はアカデミックな道に進みませんでした。当時、ソフトバンクの孫社長や旧ライブドアの堀江社長の実業家に憧れていて、将来は起業したいとぼんやりと考えていたのです。理系の素養を活かしながら、インターネット業界でスキルを積みたく、2006年4月、ヤフーにエンジニアとして入社しました。

   ヤフー入社後は、バックエンド寄りのシステム開発に従事しました。ヤフオク!やYahoo Musicなどで、ユーザーが決済した際のデータをさばくシステムを担当。非常に大規模なシステムを100人単位でつくっていました。この仕事自体は楽しかったのですが、3年間でエンジニアの仕事を一通り学べたことと、起業に向けて少しでも歩みを進めるために、営業への転向を申告。その希望は受理され、大阪支社での営業職として4年目のキャリアが始まりました。

   大阪に引っ越し、広告代理店相手の検索型広告の営業業務をスタート。ヤフーで検索した際に表示される広告を扱いました。広告代理店にこのメリットを説明して回り、クライアントに提案してもらう。場合によっては、代理店と一緒にクライアントに直接提案することもありました。ヤフーの検索型広告は、競合に比べて商品力が高く、多くのクライアントを獲得できましたね。思い出に残っている仕事としては、ある不動産会社への広告効果の改善提案があります。その会社は、リゾート地や高級物件を扱っていたのですが、広告の成果がなかなか出ませんでした。そこで、ターゲットを年配の方に絞り、検索キーワードの設定をがらりと変えたところ、ネットからの獲得が倍以上に。この成功体験はいまでも頭の中に残っています。2年にわたる営業活動を通じて、インターネットビジネスの仕組みを学ぶことができました。



ダメだったら、1ヶ月で帰ってくればいい。
中国での営業職募集に即エントリー。


   社会人6年目になる、2011年。ここで大きな転機が訪れます。ヤフー1社にだけ勤めていましたが、「もっと直接お客様に営業ができる経験を積んで実力をつけたい」そう考えるようになりました。仕事自体は上手くいっていましたし、職場の雰囲気も良かった。ただし、このままインターネット広告の代理店向けの営業を続けていても、起業してもうまくいかないと感じました。自分で商売をやるためには、直接、お客様に対峙する経験がどうしても欲しかったのです。加えて、生きていくための「タフさ」も身につけたかったので、転職活動を開始しました。

   求人サイトで「営業職」を徹底的に検索しました。そこで目にとまったのが、リクルートの営業の募集です。本でも読んだことがあったので、「営業という仕事を通じて、自分を鍛えるにはリクルートが良いだろう」と思い、関連会社も含めて求人を比較検討しました。「え!?」と、ある求人情報を見て驚きました。アジア勤務の人材ビジネスの営業職が、関連会社で募集されていたのです。海外にどうしても行きたいとは考えていませんでしたが、「海外との仕事は今後も増えるだろうし、自分の幅も一気に広げられるチャンスだ!」と感じて、すぐにエントリーボタンをクリックしました。選考もスムーズに進み、「ダメだったら1ヶ月で戻ってくればいい。とにかく行ってみよう!」と上海に渡りました。



仕事のスピード、自己主張、自走力。
全てが足りずにもがいた、上海での1年目



中国に来た頃、同僚と旅行先での一枚

   2011年6月、リクルートの関連会社であるRGF HR Agentの上海拠点に入社。日本語を話せる外国人転職希望者を、中国の企業に紹介する事業を展開していました。現在は中国だけではなく、タイ、ベトナム、シンガポール、インドなどアジア全域で事業を展開していますが、当時の拠点はまだまだ少なく、上海拠点も40人という小さな組織でした。入社当初の1年目は、正直、楽しいことよりも、苦しんだことの方が多かったです。ヤフーというインターネット業界で国内トップの企業から、海外のベンチャー企業、しかも「転職希望者の人材紹介」というアナログな業界に転職してきたのですから、今までの仕事の仕方が全く通じませんでした。最も戸惑った点は、仕事のスピード感。ヤフーでは、正確な情報をもとにしっかりした提案をしてものを売る、というスタンスでしたが、RGFでは、できるだけ早くクライアントに提供する、という仕事の進め方。営業の準備をしている中、上司や同僚の中国人から催促の声が飛んでくることもありました。

   もう一つ、自分で考えて動くことが強く求められます。入社当初は、クライアント企業のリストを70社くらい渡されて、「あとはよろしく」と言われて託される。当時のRGFは黎明期。人材紹介の経験は無いのに、手探りで進めていくしかない状況でした。これは海外だからなのか、ベンチャー企業だからなのか、その理由がよく分かりませんでしたが、とりあえず、前に進めていくしかありません。また、積極的な発言も不可欠です。たとえば、新規求人案件に人を集める際 社内のキャリアアドバイザーにどうアピールするのか。中国人の営業は積極的に発言し対象者を集めていく中で、日本人の自分も自己主張を積極的にすることが強く求められました。物おじしない外国人を相手に猛アピールする必要がありました。

   ただ、愚直にやりさえすれば、国や環境が違えど、成果はついてくるもの。次第に新規取引も獲得できるようになり、クライアント企業からも信頼をいただけるようになりました。クライアント企業の抱えている課題を分析したり、市場や競合の動きを調べたり、クイックなレスポンスを心がけて足しげく通うことで、個人の売上が伸びていったのです。会社の成長も実感することができ、仕事が楽しくなってきた時期に上司から別室に呼ばれました。「来月から、マネージャーやってくれ」。嬉しかったですね。入社してちょうど1年が経過していました。



1年でマネージャーに昇格したが、半年で降格。
もう一度、返り咲き、圧倒的な成果を出した。



RGF時代、同僚と食事会で

   当時、私は29歳でマネージャー職に昇格しました。未経験から入社1年での就任は、おそらく当時のメンバーの中では最速だったと思います。チームメンバーは、中国人の女性2人と日本人の男性1人で、300社の顧客を任されました。意気揚々とマネジメント業務を開始しましたが、何と、半年で降格に。。自分の至らなさが原因でした。私自身が営業として多くの売上を上げていたので、個人プレイに走ってしまいました。自分が目標を大きく達成すれば、チームも達成するだろうと、個人の顧客への対応を優先したことで、メンバーとのコミュニケーションがおろそかに。彼ら彼女らが苦しいときに助けてあげられず、チームとしてのまとまりに欠けてしまいました。結果、マネージャーとしての価値を発揮できなかった、という評価で、プレイヤーに戻されました。

   そこからまた1年半後、改めてマネージャーに昇格。前回の4倍である、16名の組織を託されました。自分ひとりの力に頼っていては、チームは回らないことに気づいていたので、最優先に置いたのは、メンバーとのコミュニケーション。具体的には、彼ら彼女らに徹底的に向き合うために、全員と毎週の個人面談を行いました。仕事だけではなく、人生の悩みにも向き合いながら、お互いの信頼を積み重ねていったのです。驚いたのは、単刀直入に「給料を上げてください!」と言われたこと。中国人は給与明細を、同僚の間で見せ合うことも多いのです。「同期のアイツは上がったのに、私は上がっていません。なぜですか。今すぐ上げてください」と。金額は日本円で5000円くらいだったと思います。私は、「あなたはこういう理由だから、給料を上げられない。ただし、ここを頑張れば、昇給を検討します」という形で、理由を明確にして説明しました。そのメンバーは納得し、目の前の目標に向かって頑張ってくれました。ああ、こういう本音を聞くのは大切だと、そのときに初めて気づきました。

   加えて、メンバーの営業活動にもできる限り同行して、クライアント先での振る舞いや営業手法もコーチングしました。やはりリアルに教えると飲み込みがはやい。ドキュメントに落として、ナレッジ化して全体に共有することはもちろん大切ですが、直接フィードバックした方が成果につながりやすいですし、喜んでもくれる。Face to Faceでの表情を通じてのやりとりは、文化が異なる職場では、とても大切だと言うことを学びました。インターネットの会社で、メールでのコミュニケーションに慣れていた自分にとっては、大きな気づきでしたね。少しずつではありましたが、チーム全体に活力が出てきて、売上がじりじりと上昇カーブを描いていきました。大手企業との新規取引も獲得して、チームとしての目標を達成。マネージャーとして結果を出せて、嬉しかったのを覚えています。



営業マネージャーの次は、起業。
会社を立ち上げるために、日本に帰国。




   がむしゃらにマネージャーとしての役割を果たす一方で、学生時に憧れていた「起業」への想いが再燃してきました。このまま海外に残るか、日本に戻るか。思案を重ねる中、マネージャーとしての業務が一区切りしたときに、帰国を決意しました。自分で営業ができるし、組織もつくれるようになった。物事に動じないタフさも身につけた。不慮の事態が起こっても、おそらく踏ん張れる。海外での経験で身についたことを振り返りながら、次のチャレンジをしてみたいと思い、2015年9月、帰国の途に就いたのです。

   帰国した1か月目で会社を作りました。インターネット業界が好きで、5年にわたってヤフーで培ってきた技術力と営業力の両方を活かそうと、Webマーケティング業務を担う会社を設立しました。ただ、設立当初の半年間は、ずっと本を読んで知識を蓄える日々でした。4年間、インターネット業界から離れていたので、トレンドをキャッチアップする必要があったからです。自ら顧客や協力会社を開拓していく中で、少しずつ仕事をいただくようになり、一つひとつの業務を丁寧に進めていきました。自社のサイトでもWebマーケティングについて情報発信することで、さらにクライアントは増えていき、軌道に乗りました。現在は、大手広告代理店に対するマーケティング支援や、社外取締役を勤めている会社での業務支援を中心に行っています。



海外で培った経験は、
いまの仕事の核を形成している。




   自分で全てを計画して、実行して、その売上を次に向けて投資する。この事業活動の一連の流れを、社長である私が担うことになります。これが本当に楽しい。自分の力で勝負している感覚を持てますし、良いことも悪いことも全てが自分に降りかかる。起業して苦しいこともありましたが、前向きに考えて、なんとかここまでこられました。一度、海外に出ると、気持ちが吹っ切れると言いますか、タフになりますね。自分という存在が通用しない環境に置かれて、そこから這い上がってきた。この体験は、換えがたいものとして、いまも自分の中で息づいています。

   たとえ失敗しても、「自分が変わるためのきっかけ」として捉えられる。これも大きいかもしれません。中国で採用が上手くいっていた会社とそうでない会社には、ひとつの差がありました。成功した企業は、変化する力を持っています。日本流の採用手法を持ち込んで、それが失敗したら、中国流に合わせることができる会社は、やはり強い。たとえば、面接回数を少なくしたり、現地法人に採用の権限を与える対応ができるかどうか。変化する大切さを間近に見ていた体験が、今の経営者の仕事には活きています。また、現地では、クライアント企業の経営者との商談も数多く経験しました。採用の課題は、人事の課題に紐付き、ひいては事業の課題を色濃く反映します。彼らとの商談は、経営を学ぶ絶好の機会でしたね。20代の後半から30代の前半に掛けて、向こうに行って仕事ができたのは、幸運だったと思います。



「行きたい!」と思った瞬間が、
海を渡る最高のタイミング。


   いま、起業して3年目です。正直に言って、長期計画は立てていません。今のWebマーケティングの仕事は楽しいですし、クライアントにも喜んでいただいています。会社の仕事を愚直に続けることによって、次の目標が自然に見えてくるからです。

   最後に。海外への転職を検討していて、興味のある仕事や会社が見つかったら、その感覚を信じた方が良いと思います。ピン!と来ること自体がとても大切で、興味があることは現地に行ってもやり抜ける可能性が高いからです。転職に関連する仕事をやってきたので分かるのですが、全ての条件を満たす転職先は、そうそう見つかるものではありません。自身のこだわりを分析して優先順位を付けてみる。その上位にあるものが実現でき、なおかつ興味があることができるのだったら、海を渡ってもよいのではないでしょうか。年齢は関係ありません。行きたい!と感じたその瞬間が、最も良いタイミングだと私は思います。





<インタビュー担当記者より>
リクルートの上海拠点では、確かに営業やマネジメントのスキルを獲得されましたが、それ以上にご本人に残ったのは、「変化する力」だと感じました。クライアント企業やチームメンバーと接する中で、相手に合わせて自分を変えていける力。海外に出て、今までの自分がなかなか通用しない状況に身を置き、真摯に向き合ったからこそ、この力が身についたのだと思います。

「ダメだったら、1年で帰ってきてもいい」「渡航するのに不安はありませんでした」「好きなことだから頑張れるはず」と、岩楯さんはおっしゃっていました。そのような思い切りの良さからも、私自身は学ぶ点が多かったです。興味があるなら、まずはやってみればいい。その言葉に元気づけられる方も、多いのではないでしょうか。


●インタビュー・執筆担当:佐藤タカトシ
キャリアや採用に関するWebでの連載多数。2001年4月、リクルートコミュニケーションズ入社。11年間に渡り、大手自動車メーカー、大手素材メーカー、インターネット関連企業、流通・小売企業などの採用コミュニケーションを支援。2012年7月、DeNAに転職。採用チームに所属し、採用ブランディングをメインミッションとして活動。 2015年7月、core wordsを設立。



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