【彼女たちの上海】vol.2 松田奈月さん (前編)


 【vol.2 前編】



【彼女たちの上海】とは・・・ 「ドラマ『上海タイフーン』は、どれだけリアル?」
上海に住む女性たちの間では、しばらくの間これが話題でした。「しょせんドラマ」「現実はもっと厳しいよ」「なにより、ピーター・ホーがいないし!」ドラマを楽しみつつも、そう言わせる理由は、彼女たちの上海ライフそれぞれに、語れるエピソードや想いがあるから。そんな話を聞きたくて、この街で働き、暮らす女性に会いました。
取材・文 / 浅香来


→『記憶の海』TBSドラマ公式サイト
http://www.tbs.co.jp/kiokunoumi/

→『記憶の海』原作本(amazon)
http://www.amazon.co.jp/記憶の海-松田-奈月/

→プレスリリース『第2回TBS・講談社ドラマ原作大賞受賞作品 『記憶の海』 伊藤歩、TVドラマ初主演!!』
http://kamome.bz/index.php?itemid=1860



「やってみたい」気持ちが形になる街で学び、働く。

北京から上海、実践を糧に自分を楽しく磨いていく


松田さんは先日、TBSと講談社が開催した「第2回ドラマ原作大賞」を受賞したばかり。しかも中国ではおそらく知らない人がいないぐらい有名な日本語のテレビ番組の企画者であり、ディレクターであり、上海初のギャラリーショップのオーナーという多才な人だ。

「今住んでいるアパートは老房子で、1LDKなのですが、もうひとつ奥のドアをあけると、キッチンとトイレ、バスタブが全部一緒にコンパクトに収まっている不思議な部屋があります」。住んでいる家について尋ねると、松田奈月さんは笑いながら教えてくれた。それは生活にはかなり不便ではと聞くと「友達が来たりすると、料理中はトイレに入れなかったりして不便ですけど、お風呂入りながらお湯がわかせたりと便利な面も」と答える。悪天候で交通が乱れ、松田さんは約束の時間より遅れてきたのだが、取材場所である彼女のショップのスタッフが「しょうがない人ですよねえ」と笑わせる。状況を受け入れて楽しむ姿勢は、彼女の周りでポジティブな連鎖を生んでいるようだ。

→「TBS・講談社 第2回ドラマ原作大賞」選考結果発表!
http://www.d-gensaku.jp/oubo/index.html



チャン・イーモウが学んだ名門で撮影技術を学ぶ

「中国への興味は、大学で専攻していた日本文学とゆかりが深いという理由で、中国語文学と、第2外国語を取ったことから。中国語は4年やったのですが、たいして伸びませんでしたね」。それに加えて、大学の途中から映像や写真に興味を持ち始め、中国の映画を観るうちに、監督らが同じ学校出身だということに気がついた。

「中国映画の魅力は、ひとりの人間をちゃんと描いていて、監督色が強いところ。スピード感も自分と合うなと思いましたし、どんな人が作っているのかなと興味がわいたんです。その学校を調べているうちに、留学生も受け入れているらしい、そこに行けばその映画作りを目指している人たちに会えるかもしれない。これはおもしろそうだと、ミーハーな気持ちで(笑)」

大学卒業後3年間勤めていた外資系のマーケティング会社を辞め、チャン・イーモウやチェン・カイコー、ヴィッキー・チャオといった中国を代表する映画人を輩出した名門・北京電影学院に留学。半年の中国語語学クラスで勉強したあと、1年制の撮影の専門クラス(進修班)に入学する。
「監督学科なども当初は考えていたんですが、監督学科は基本的には留学生だけのクラスになることがわかったので、中国の人たちと一緒に学びたいと考えていたので、撮影にも興味があり撮影のクラスに入りました」授業は1日多くて5時間ぐらい、カメラを5、6人に1つ貸し出されて課題作りの日々。クラスメートの半分は、学歴を求めて入学した、地方のテレビ局のカメラマンなどだったという。
「小さな学校で、すごく環境がいいんです。学内には映画館があって学生向けには(当時は)無料。月曜日は中国映画2本立て、火曜日は海外2本立て、水曜日は卒業生が新作を持ってきたりして、本当にできたてのものを公開より先に見せてくれて、監督との交流もあり。ラボでは、中国では上映禁止になっている映画も見れたんですよ」



帰国を考えたときに、上海の仕事が舞い込む

学校も終わりに近づくと、だんだん授業も減り、松田さんは早速実践を試みる。
「新聞の広告で見つけて、中国のローカルのテレビ制作会社に働きに行ってみたんです。言葉も技術もないのに、カメラマンになりたいという私を珍しがってもらって、とても良くしてもらったんですが、あまり仕事がなくて……。週に1回ロケがあるかないかって感じで、社員は社長も含めて3人、朝は新聞読んでお茶飲んで、ビルに共同シャワーがあったので、週3昼休みにスタッフと一緒にシャワーを浴びて、午後は髪を乾かしながらまたお茶飲んで、みたいな(笑)。1か月過ぎたころに、これは楽しいけど、ずっと続けても仕事ないなと(笑)」。 自分のできることがあまりに少ないと感じて、その後日系の広告代理店に移るが、マーケティングや平面の仕事が中心で、映像の仕事はなかなか回ってこなかった。1年半勤めたあと、体調を崩した松田さんは、ついに帰国を決意する。

「荷物も詰めて、部屋も引き払おうと。もう3年いるし、いいタイミングかなと思って、インターネットで日本の仕事を探したんです。中国の映像関係ないかな?と思って見ていたら、日本のテレビ番組制作会社で上海の現地ディレクターがほしいというのを見つけて。上海に面接に行き、経験はなかったのですが、やれますと言い切って(笑)。面接の後そのまま上海で部屋を探し、日本に送ろうと思っていた荷物をそのまま北京から上海へと送りました」

運命の女神も彼女に味方していたに違いない。そのサイトには応募フォームにエラーがあったのか、彼女が面接を受けるまでは、彼女しか応募者がいなかったそうだ。
「上海に来たら、あまりに便利すぎてびっくりしました。北京では(当時)夜8時過ぎると何も買い物できなかったし、治安は悪いし、道は暗い。でも上海では家の周りにコンビニが3軒もあって。安全だし」

最初は自分のアパートをオフィス代わりに、任された仕事は関西テレビで深夜に放送していた『あじゃぱー』という番組の現地スタッフ。台湾、香港、ソウル、上海からの面白ネタを、現地の日本語を話すレポーターが伝えるという内容で、松田さんはそのネタ収集と、現地映像の制作を行った。
「日本語のたどたどしい現地レポーターたちが、ゆるく面白く街のあれこれを紹介してゆく番組で、経験のなかった私も一緒に手探りで作っていた感じでした。カメラマンは中国人だったんですけど、そんなところでカメラを振る?みたいなのも受けたみたいで(笑) 日本のスタジオの司会者からのつっこみがバシバシ入っていました」

“朝の公園で木に抱きつく人”“羽化しかかったゆで卵”など、自分のアンテナに引っかかる面白ネタを探しながら、そのころ月の半分以上を上海の街を歩いて過ごしたのが、今でも大きな財産になっているという。



ついにディレクターとしての上海での初仕事!

1年ほどして、番組は終了を迎えてしまう。
「それならば、上海から逆にそういう番組を作ってみたいなと。中国にいると、なかなか外国のそういう生きた情報を見せるような番組はないじゃないですか」

早速企画とパイロット版を作って彼女たちはスポンサー探しを始めるが、ノウハウがなくてなかなか見つからない。上海で制作会社として立ち上げ、日本から上海に撮影でやってくる番組制作のコーディネーター等をしているうちに、2004年、avexが上海TV・音楽チャンネルで放送を開始したばかりだった『節奏日本~リズム・ジャパン』の番組制作の話が舞い込む。

「当時中国での番組制作を任せられるところを探しているというお話を聞き、テスト版を制作し、最終的に毎週放送の番組の制作を受けることになりました。それまでの仕事は日本に素材を送って、仕上げや編集は日本任せでしたから、ディレクターとしてはこれが初仕事です」

もとはスタジオで収録のVJがビデオクリップを紹介する形式だったが、せっかく日本の音楽を紹介する番組だからと、スタジオ部分を日本での外ロケに切り替えた。音楽だけでなく幅広く毎週日本のカルチャーを紹介。そのロケで訪れた場所のひとつが、東京にあるアマチュア作家の雑貨を並べるひと坪ショップの「ニヒル牛」だった。
「こんなスペースが上海にもあったらいいのに、とお店の人と話していたんですよね」
それが数年後に、写真にあるお店として実現することになる。


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※取材・文 / 浅香来
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